漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2016.4.    掲載
2016.7. 注1追加他

 【エッセイ】「召」の上部は「かたな」か「ひと」か

 白川静氏の説に齟齬を見つけたと思って論考を書き始めたところ、調査途中で誤植の類であることが分かり、やむを得ずエッセイ(あるいはドキュメンタリー)に切り替えてその顛末を綴ってみました。お気軽にお読みください。

 白川静著「字統」で「召」の字を調べていて、おかしなことに気づいた。白川氏は、「〔説文〕は字を刀に従うものとして刀(とう)声とするが、卜文・金文の字形は明らかに人の降下する形である。」と述べている。しかし、掲出されている甲骨文のうち召の字体のものは、明らかに刀に従っているのである。
「字統」掲載の「召」甲骨文 (注釈は「漢字古今字資料庫」による)
mesujitou.png(2915 byte) mesuhanbunjitou.png(3831 byte)
「召」甲骨文
合集33020 歴組
「召」繁文甲骨文
郷36689
 刀と人の甲骨文の形は、似ていると言えば似ているが、人のほうは膝にあたる部分が曲がっており、腕から上の部分は首にあたるので刀のように長くはない、といった特徴に注意すれば、容易に区別がつくものである。
katana.png(2003 byte) hito.png(2049 byte)
「刀」甲骨文 「人」甲骨文

 台湾・中央研究院のサイト「漢字古今字資料庫」で調べたところ、召の字形の甲骨文は26点掲げられているが、見たところ、そのほとんどが刀に従っている。ほかに異体字のmesuhanbunmintyou.png(740 byte)やそれに近い字体のものが20点あり、これらは、字統に掲出された右側の字体のように、人の形に従っているらしいものが大半であるが、召の字体の方が古いのは確実であろう。

wakerukoukotu.png(3541 byte)
「分」甲骨文
 字統に掲載されているほかの字を見ると、たとえば「分」については白川氏も「八と刀に従う」としているが、その甲骨文の刀の部分は上記の召の上部とほぼ同形である。なぜ召については人だとするのか、理由がわからない。
 召の字は白川文字学にとって大切な字で、上部が人であればこそ、下部(sai.png(1493 byte))が「くち」でなくサイ(祝詞の器)であると説明でき、白川氏が提唱する載書説を裏付ける事例の一つとなりうるのである。
 もし白川氏の錯誤でこんな事態になっているなら、気づいたものとして指摘する必要がある。ありていに言えば、HPの記事として格好のネタができた。
 そう思って、論考の一つとするべく、刀か人かいずれが正しいのか、調査を始めた。

 落合淳思氏の「甲骨文字小字典」や「文字の成り立ち」をチェックしたが取り上げられていない。「古代文字字典」を見ても、「漢字古今字資料庫」と同様である。落合氏の「甲骨文字全文検索データベース」で召の使用例を調べると、地名や「召方」という部族名に使われているのが大半のようだが、手掛かりにはならない。
 白川氏の他の著作を調べると、「遊字論」に、「神の降下を求めることを召という。祝詞の器であるサイの上に、神を召呼する意を示す人の姿をかく。」と記載されていることが分かった。してみると、白川氏は古くから召の上部を人と解しているが、字統ではそれは「降下する人」(神?)であるので、「召呼する人」から解釈が変化したことになる。

 調査が行き詰った。また、甲骨文や金文のトレースを重ねてその字形を頭に叩き込んだはずの白川氏が、私が気付くような初歩的な間違いを起こすとは考えにくい。そんなわけでしばらく放置していたが、あるときふと思い出して、適当にキーワードを入れてウェブで検索してみた。
 すると、落合氏の「召公再考」という論文がヒットして、疑問が氷解することとなった。
 この論文全体としては、召公seki.png(717 byte)(せき)で名高い召族の血縁関係などを論じたものだが、その最初に召字についての考察があり、なんと「『説文解字』が召字を「口に従い刀声」とすることから、古くは人に従う「mesukoukotuotiai.png(924 byte)」は召ではなく「旨」と解されていた。」と述べているのだ。また論文に掲載された、落合氏が召字とする甲骨文(合集5479)の写真は、確かに人に従っている。
 驚いて、漢字古今字資料庫の「旨」字の甲骨文を見てみた。15例表示され、ほとんどの文字は確かに人とサイに従っていた(うち1例は刀に見えるが)。合集5479は無いが5478umaikoukotu.png(2975 byte) は収録されている。

そして落合氏は、
白川「召方考」は、(中略)「mesukoukotuotiai.png(924 byte)」はmesuhanbunmintyou.png(740 byte)の初文であり召であるとした。
白川は刀・口に従う字体の召を「後世譌変の字形」とし、甲骨文では「決して刀形に従っていない」とする。
と白川氏の論文を引用している。
 なるほど、召の甲骨文とされるものをいくら見つめても人に従うものが見つからないはずである。しかも、落合氏によれば、人に従う字形が甲骨文字の第1期、刀に従うものが1・2間期のもので、mesuhanbunjitou.png(3831 byte)のような繁文は第5期のものという。つまり、召という字が作られたときは人と口からなり、後に人の部分が刀に変形したということで、やはり白川氏の説に齟齬はなかった。ただ、字統に掲載された召の甲骨文が、白川説に反するものになってしまっているわけである。1)
 念のために、「白川静著作集」別巻の「甲骨金文学論叢」に収録されている「召方考」(以下「全集版」という)を図書館で借りて読んだ。人+サイの甲骨文について、「羅振玉氏や郭沫若氏が旨字だと述べているが、そうではなくて召字である」と力説している。上記の落合氏の引用した部分は当然確認できたが、腑に落ちない点が二つあった。
 一つは、白川氏が、刀に従う召の字は甲骨文には存在しないとまで言っていること。上記のとおり、刀+サイの甲骨文は(落合氏によると1・2間期に)多数存在し、召と解されている。白川氏が、この字は召ではないと考えていたなら、どの字に該当するとみていたのか。今では確かめようがない。
 もう一つは、文中に使われた甲骨文が、人に従うべきものも刀に従っていること。例を挙げると、
  ○卜辭初期の國名にmesusyouhoukou.png(1272 byte)方というものがあるが、これは多く旨方と釋されている。
  ○mesusyouhoukou.png(1272 byte)を召と釋すべきことは、論を俟たぬことである。
  ○mesusyouhoukou.png(1272 byte)saisyouhoukou.png(977 byte)の上に人の側身形を描いたものである。

 上記は一部であり、他にも同様の疑義がある箇所が多い。これらの文中においては、召をmesusyouhoukou.png(1272 byte) の形で書くと文意が通らない。hitomesusyouhoukou.png(1441 byte) でなければ、白川氏が何を主張しているのかわからなくなる。白川氏は、hitomesusyouhoukou.png(1441 byte)は旨ではなく召であり、召は人とサイに従う字である、ということを主張しているはずである。

 「論叢」の原本は、白川氏が自ら鉄筆を執った謄写版による油印印刷(以下「油印版」という)である。「著作集」に入れるに当たり、活字に置き換えたが、甲骨文など現行文字でないものも、上記のような活字を作って使っている。ひょっとすると、この活字組みのときに取り違えがあったのかもしれない。

 これは、白川氏直筆の油印版を確認しなければ終われない。
 そう思って、近くの公共図書館の蔵書をウェブで検索したが見つからない。それならと、本家本元の立命館大学の蔵書を検索した。ところが、10集ある「甲骨金文学論叢」のうち、一部分しか存在せず、「召方考」が掲載された二集が見当たらない。「論叢」のうち10編の論文を複製合本したという「甲骨金文学論集」も見つかったが、「召方考」が含まれているかどうかわからない。
 あれこれ探しているうちに、京都大学大学院文学研究科図書館に、「論叢」油印版の全冊が揃っていることが分かった。しかも部外者も無料で閲覧可能という。ただし平日に京都まで行かなくてはならない。

 仕事の都合をつけて、ある日、京都大学吉田キャンパスを訪れた。ここは私の母校であるが、構内に入るのは二十数年ぶりである。私が通った工学部建築学教室は十余年前に桂キャンパスに移転しており、他の建物も多くは建て替えられていて、あまり懐かしいという感じはしない。学生時代に足を踏み入れたことがあるかどうか定かでない文学部校舎に入り、図書館を見つけた。
 事前に知らせてあったので、目的の「論叢」二集はすぐにカウンターに出てきた。薄くて簡素な製本である。白川氏自身が寄贈したものであった。はやる心を抑え、かなり劣化している紙を丁寧にめくっていくと、目的の文字が見つかった。やはり私が想像していたとおりどの字も人に従っており、思わず「やった!」と(叫ぶわけにはいかないので)ささやいた。
 上記に引用した部分について、原本のコピーをそのまま表示する。白川氏の意思を確認するためなので、きっとお許しいただけるだろう。
sirakawamesu3p66.png(27822 byte) sirakawamesu2p66.png(27679 byte) sirakawamesu1p65.png(20932 byte)
 これでやっと、白川氏がどのような字形を検討対象にしたのかが分かった。考えてみれば、油印版が発行されていなければ(通常の出版物のように直筆原稿しか残っていなければ)、部外者としてこのような調査は出来なかったであろう。

 それにしても、平凡社の編集者諸賢にはしっかりしていただきたい。文字のかたちを重視して研究している白川氏の著作である。油印から活字に置き換える時に、その形について細心の注意を払わなければならないことは当然である。また校正に際しても、本文をよく読めば、著者の意図があのような活字では伝わらないことはわかるはずである(現に素人で部外者の私がわかったのである)。
 油印版と全集版とでは、文の内容もあちこちで修訂されている2)。これは当然白川氏本人の手によるものであろう。しかし、前に挙げた字統も含め、古代文字が平凡社版でどう表現されているか、ご本人のチェックが行き届いていないようである3)。これでは著者としての責任を果たしていないことになるのではないか。今さらながら、あえて苦言を呈しておく。














注1)字統の凡例には、甲骨文の字形は「甲骨文編」等からとっていると明記されており、この甲骨文編等がmesusyouhoukou.png(1272 byte)を召だとしている(hitomesusyouhoukou.png(1441 byte)を「旨」と見なしている)のだから、この限りにおいては掲載字形が間違っているわけではない。しかし、本文の記述と矛盾をきたしていることは明らかなので、この項については、単に字形を差し替えるだけでなく、何らかの解説を付す必要があろう。    戻る

注2) 本稿の趣旨から離れるが、載書説に関する注目すべき修訂の例を一つ挙げる。
 油印版p67には、「およそ卜文・金文のうち、yuinsai.png(949 byte)に従ふものは、口耳のyuinkuti.png(939 byte)に従ふものと自から別があり、卜文・金文においては、両者の字形に若干の相違がある。」とあり、「くち」に従うものの存在を認めているが(具体的な字種は不明)、全集版では、字統などと同様、「凡そ卜文・金文において、saisyouhoukou.png(977 byte)に従うものは、口耳の口を意味するものは殆どなく、」と改められている。時間の経過の中で、当初は「くち」に従うと考えていたいくつかの字についても、のちにはサイに従うと見なすに至ったものかと思われる。    戻る

注3) 他にも、字統掲載の篆文について、間違った字体をそのまま引用している例がある(拙稿「資料調べは気をつけて」字統の項1参照)。    戻る




参考・引用資料

新訂字統  普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

古代文字字典 甲骨・金文編 城南山人編、マール社

遊字論 白川静著、1975-6年:文字逍遥 初版第3刷 1997年 平凡社ライブラリー

甲骨文字全文検索データベース 落合淳思 (ウェブサイト)

召公再考 落合淳思著:中国古代史論叢 初集 2004年:「睡人亭」ウェブサイトより

召方考:白川静著作集 別巻第3期 第1巻 甲骨金文学論叢 上、平凡社 2008年

召方考:甲骨金文学論叢(油印版) 二集 白川静著、1955年 京都大学大学院文学研究科図書館蔵

画像引用元(特記なきもの)

甲骨文、小篆  漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)

JIS規格外漢字(明朝体)  グリフウィキ(ウェブサイト)